「どうやら、杞憂だったみたいね」
耳にはコップ。
「まぁ、私は最初から心配してないけどね」
やはり、耳にはコップ。
「の割には、一緒にこうしていますけどね」
勿論、耳にはコップ。
「でも、やっぱり、先輩も嬉しそうですね」
当然、耳にはコップ。
さて、この四人が何をしているかと言えば、
『……でさ、今は……なんだ』
『ああ、……は確かにリンらしい……』
襖の前で、盗み聞きである。
この瞬間に襖を開けられたなら何のごまかしも利かない程に堂々とした盗み聞きである。
先刻のイリヤの発言も当然隠れ蓑。
士郎がセイバーの部屋に入ったのを確認すると同時に、他の三人に声をかけ、こうして駆け付け、もとい忍び寄って来たのだ。
彼女らの名誉のために、弁明をするとするならば、それだけ衛宮士郎の事が心配なのと、セイバーの事が友達として大好きだということだ。
まぁ、彼女達の誤算を一つあげるのならば、
『で、そこの連中をどうする?』
『さしあたり、お説教を、と言いたいですが、時間が勿体ないですね』
現在の極限まで緊張し、張り詰めた衛宮士郎の感覚を甘く見すぎた事か。
「「「「え゛?」」」」
第五話「住人と買い出しと剣と」
「全く、反省しなさい!」
ぷんすかと頬を膨らますセイバー。
制裁はそれぞれに拳骨を一発ずつ。
勿論ライダーにもだ。
え?タッパが違うだろって?
そりゃ、俺だってジャンピングロシアンフックなんてとんでもない物が見られるなんて思いもしなかったよ。
「うう、反省はしてるわよ。でも、本当に心配だったんだからね?」
頭をさすりながら、イリヤ。
「それでもです!だいたい、私とシロウがそうそう険悪になるわけ無いでしょうに」
「まぁまぁ、セイバー。落ち付けって。とは言え、イリヤ。……嘘は駄目だぞ?」
さっきの発言をこの場でぶちまけても良いんだぞ、と言外に含ませてにこやかに笑う。
「う……。シロウもそんな顔する様になったのね……」
「毎日、誰かさん達に鍛えられてるからな。たまには、こういうのも有りだろ?」
じろりと睨む視線の先にはあかいあくま。
「何よ、その目は……」
「べっつにー。いやー、優雅ってのは盗み聞きする事だったんだナー、とか思ったり思わなかったりー?」
「ぐ……言うじゃない、士郎。覚えてなさいよ……」
「珍しい光景も見られた物ですね。リンをやりこめる士郎とは」
「まぁ、悪いのは私達ですから。すみません、先輩、セイバーさん」
ああもう、桜は良い子だなぁ。
「桜?露骨なポイント稼ぎなんてしなくて良いわよ?」
「何を言ってるのか分かりませんね、姉さん?」
……たくましくなったな、桜。
「ともかく、シロウが帰ってきたんだし、少しみんなで話さない?セイバーだけ独り占めなんてずるいわよ」
「ええ、そうですね。では居間に移動しましょうか」
そうして、人数分のお茶を煎れて、一段落。
「とりあえず、自己紹介しないとな」
そう切り出した。
セイバーの話を聞く限りは、俺がどういう衛宮士郎なのかは何となく推測できているらしいが、しっかりと全部告げておいた方が良いだろう。
「ええ。教えてくれる?」
「もちろん。まぁ、名前は良いよな。普通に、衛宮士郎。それが俺の名前だ。で、どういう衛宮士郎かって言うと……」
そうして、全て話した。
あの聖杯戦争がどんな結末を迎えたか。
それからの半年をどう歩んできたか。
「成る程ね。それじゃ、殆どアーチャーが言ってた通りか」
「アーチャーが?」
何で、アイツがそこで出てくる?
「あ、いや。何でもないの。アイツ、妙に察しの良いところ有るでしょ?ソレを改めて認識しただけ」
妙に焦っている遠坂にちょっと疑問を覚えはしたが、詮索しても仕方ないだろう。
それに言ってる事はもっともだ。
「ああ、成る程な。確かに、妙に察しが良いよな、アイツ。えと、それでライダーは、桜のサーヴァントだったのか?」
視線をライダーに。
もともと、とんでもない美人だろうなぁとは思っては居たが、こうしてマスクを外すと途轍もなく美人だ。
「ええ。貴方の世界では、シンジに使役されたままの様でしたが。……申し訳有りませんでした」
そう言って、顔を伏せるライダー。
恐らくは、あの学校の結界のことなのだろう。
あれのせいで、どれだけの生徒が病院送りになったのか、苦しんだのか、今思い出しても、怒りが薄れる事はない。
だが、こうして面と向かって頭を下げられて、明らかな謝意を示されてはその怒りをぶつける事も出来ない。
「……許す事は出来ないと思う。ただ、そうやって、済まないと思っててくれるなら、少しは被害者も救われると思う」
「そう言って貰えると助かります」
安堵の言葉と柔和な微笑み。
死者に鞭打つ気はないが、慎二の野郎、こんな美人になんてことをさせやがったんだ。
「あ、そう言えば、慎二も居るのか?」
「慎二?」
「兄さん?」
「シンジですか?」
「シンジ?」
「誰だっけ?」
なに、この反応。
「ああ、そう言えば。アンタ、アイツの友達だったわね。信じられないけど」
「そう言えば、そうでした。すっかり忘れてましたけど」
「そうらしいですね。真実とは思えませんが」
「言われてみれば、そうだった気もします。嘘みたいな話ですが」
「で、誰なのよ、それ?」
ああ、そう言う扱いなのね、アイツ。
南無。
まぁ、生きているなら、挨拶ぐらいはしに行くか。
「まぁ、その話はもう良いや。とりあえず、みんなのことも聞かせてくれないか?」
「ん。んじゃ、私からで良いかしら?まぁだいたいさっき聞いた通り、へっぽこなアンタの師匠ってとこかしら」
――さて、ひとまず、ここで区切ろう。この話題は、詳細に描写すると■■から検閲が入ってしまう。此処は歪な世界。一つの答えなど存在しない虚ろなる世界なのだから。
「と、こんなところですか」
最後に語り終えたのはライダー。
それまでの話で、だいたい「我が家」の状況は理解できた。
「しかし、まぁ、凄い事になってるな。エンゲル係数とか大丈夫か?」
主夫として、その辺りの事は大変気になる。
もちろん日用品の消耗率とか、光熱費諸々も大変気になるのだが。
「うっ……」
「あう……」
「大丈夫よ、ウチからお金入れてるし。料理上手ばっかりだから、節約もできるしね」
「アルバイトはしていますから大丈夫ですよ」
「えんげるけいすう?」
ああ、だいたい分かりましたよ。
食べまくるのが二名と気にしてくれてるのが二名(+一名)に、興味なしが一名ね。
「と、そう言えば、そろそろ調度良いくらいの時間だな。冷蔵庫の中身とか大丈夫か?」
エンゲル係数で気付いたが、時間はもう三時を回っていた。
買い出しにいくなら、そろそろ行った方が良いだろう。
「だいたい、お昼で使ってしまいましたね。買い出しに行った方が良いかもしれません」
成る程。
なら、
「良し。んじゃ、見回りついでに、買い出し行ってくるか。桜、米の準備の方は頼んで良いか?」
「ええ。任せて下さい」
「……存分に腕を振るって貰うわよ。セイバー。一緒に行ってあげて。一人じゃ多分持ちきれないから」
そう言って微笑む遠坂。
魂胆はバレバレらしい。
一時的にやりこめる事は出来ても、俺はあかいあくまにはやっぱり敵わないらしい。
「あ、はい。分かりました。では、行きましょう、シロウ」
「ああ、行こう。セイバー」
そうして、俺達は商店街へと繰り出した。
もちろんジャージから着替えて、な。
手にはエコバッグ。
せっかくだから、ぶらりとのんびり歩きながら何が良いかを考える。
「セイバー、何食べたい?」
「そうですね。せっかくですし、お鍋が良いのではないでしょうか?」
シロウがコミュニケーションを取るのに鍋はちょうど良いのではないか、と続ける。
「成る程、鍋か。あの人数に藤ねぇで、鍋か。セイバーと桜も居るから……」
財布を広げつつ、頭の中でレシピを構築していく。
複数の候補はあるが、最終的には八百屋次第か。
肉に関しては鶏で良いだろう。
あるいは鮭が安ければ石狩方面で考えても良いか。
「お、士郎ちゃん!今日はセイバーちゃんと買い出しかい?」
「ああ、おっちゃん。鍋にしようかなー、って思ってンだけどさ、今日、何オススメ?」
馴染みの肉屋のおっちゃんが威勢良く声をかけて来た。
「んー鍋ねぇ。鶏つみれなんてどうだい?」
「成る程。鶏つみれ……」
つみれなら、豆腐かおからをゲットできればかさ増し出来る。
椎茸とか刻んで入れても良いな。
例え余っても、調理して冷凍保存で便利に使える。
今日の鶏挽肉は、グラム58円。
オススメするだけあって悪くない値段だ。
……決まりだ。
「よし、おっちゃん。鶏挽肉を2キロで頼む!」
「お、豪快に行くねぇ。毎度ありぃ!可愛いセイバーちゃんに免じて、おまけで鶏皮200グラムつけてやるよ!」
鶏皮か。
おつまみで行くか、出汁に使うか、まぁ何にせよ有り難い。
「ありがとうございます!」
「良いって事よ。セイバーちゃん見たいな良い子のためならおじさんはなんだってするさ!」
「そんな……」
頬を染めて恥じらうセイバー。
ああもう、可愛いな、やっぱり。
「おっちゃん。おばちゃんに睨まれてるぞー」
「え゛……?」
「んじゃ、そういうことで。次行こうか、セイバー」
「ええ。行きましょう、シロウ」
後ろに怒鳴り声を聞きながら、次の店へと足を向ける。
心なしか、いつもの買い出しよりも楽しいのは、決して気のせいでは有るまい。
そして、そんな感じで、着々と食材を買い集めていく。
いくら世界が違うと言っても、基本的にこの辺りのことは変わらないらしい。
馴染みの店には馴染みの人達がいて、いつもの様な会話が成立する。
セイバーが居る事を除けばだが。
そうして十分に食材を買い揃えた帰り道。
茜の街を二人でのんびりと歩く。
そう、二人で、だ。
「……駄目だな、俺は」
「シロウ?」
思わず呟きが漏れてしまった。
いきなり何事かと思ったのだろう、その名の響きは明らかに困惑のソレだ。
「あ、いや。……弱い人間だなって思ってさ」
楽しい。
セイバーが隣で居るだけで楽しい。
その顔を見るだけで、声を聞くだけで、笑顔を見えるだけで幸せな気分になる自分が居る。
あれだけ自分に言い聞かせたというのに。
未練も後悔も無い。
このセイバーがアルトリアでない事も分かっている。
だが、それでも、この感情は際限なくわき上がってくる。
「…………」
「悪いな。セイバーのせいじゃないのに困らせちゃって」
「シロウ。そんなに重く考えないで下さい」
「え?」
「貴方は夢の国に来た。何もかもが許される理想郷に迷い込んだ。ならば、ここでは「現実」など忘れて楽しんで下さい。私は貴方のアルトリアでは無い。でも私はセイバー、貴方の剣です。だから、アルトリアの考える事も分かるつもりです。私がアルトリアならば、私に拘る事で苦しんで欲しくはない。アルトリアと言う存在に服うことで、幸せを手放して欲しくない。だから、貴方は思うがままに、生きて下さい」
それは甘い甘い言葉。
ともすれば、あの地下室での誘惑にも匹敵する程に甘い誘惑。
「でも、俺は……」
「分かっています。貴方はそう言う人間です。ですから、無理を承知で言っているのです。誰かのために生きる、それが貴方ならば、貴方を好きな「みんな」が幸せである様に、貴方自身が幸せである様に振る舞って下さい。それはきっと貴方のためにもなる」
「セイバー。良いのか、俺は……」
「全く、シロウはシロウですね、本当に」
溜息が一つ。
そうして、いきなりセイバーはこちらの腕に手を回した。
「な、セイバー!?」
「ならば、とりあえず、アルトリアなんて関係無しに、今は目の前に居る「私」と言う人間を幸せにして下さい。それならば、何も問題は無いでしょう?」
そう言って笑う顔は真っ赤。
「それ、詭弁って言わないか?」
そうまでされて、応えなければ、もはや鞘云々以前に男ですらない。
「そうかも知れません。でも、誰も損をしないなら、ソレも許されると思いますよ?」
「……そうだな。ありがとう、セイバー。少し、気も楽になったよ」
「それは何よりです。では、「家」に帰りましょう。みんなが待っています」
「ああ」
そうして、影は一つ。
主人公はようやく、本当の意味でこの世界に折り合いをつけ、歩み始めた。