変調は一瞬。

周囲が真紅に染まった。

それと同時に倒れていく級友達。

助け起こす事はしない。

そんなことをしても、彼には何も出来ない。

ならば、一刻も早く元凶を排除し、この結界を解除する、

打ち合わせ通り、ただそれだけを為すしかない。

躊躇する暇など無い。

だが、躊躇などする必要もなかった。

答えは元より一つ。

この記憶にも刻まれている。

そうして、左手の刻印を解き放った。



十一話「全て遠き理想郷」



「シロウ!」

閃光と共に、セイバーが顕現する。

状況は即座に理解してくれたらしい。

「打ち合わせ通りに俺たちは上からいくぞ。一刻も早くライダーを倒す」

遠坂達は下階、職員室を経由して校外へ回る手筈となっている。

対ライダーなら一人で十分と判断し、外部への逃走を防ぐためアーチャーは校庭に配置し校内をセイバーでカバーする。

その途中でライダーと接触する様なら、そのまま交戦するだけ。

挟撃する形に出来れば理想的だが、一対一だろうがなんだろうが、一刻も早く交戦に入りたい。

「ええ、行きましょう!」

赤い廊下を駆ける。

視界の隅には、教室の前を通る度に倒れ伏す生徒の姿が見えてしまう。

(……畜生)

その光景は否が応でも、彼にあの地獄を思い出させる。

だが、今、彼は決して無力ではない。

この地獄は、この手で終わらせる事が出来る。

ならば、今はただソレだけに意識を集中させなければ。

「居ました!」

視界の先に、一昨日退けた黒装束の女と友の姿。

接触はこちらが先だったらしい。

「セイバー、ライダーを頼む。俺は慎二をどうにかする」

「了解しました、ご武運を。征くぞ、外道!」

その言葉と共に、騎士は爆ぜる。

一足でライダーとの間合いを詰め、構えた剣を上段から一気に振り落とす。

「くっ!」

狭い廊下を跳ねるように、三次元機動を描きながら後退するライダー。

その動きはさながら、ピンボールか。

もちろん、その一撃で仕留められるなどと思ってはいないセイバーは、間髪入れず魔力炸裂をもって、再度ライダーへと追いすがる。

瞬く間に二人のマスターを置き去りに、戦域は移動していく。

縦横無尽に廊下をはね回り、三次元戦闘を仕掛けるライダーとそれを的確に捌くセイバー。

マスターに関してはほぼ同条件。

単純な戦闘技能に関してはセイバーが上回り、筋力と速さにおいてライダーが上を行く。

多少不利なフィールドではあるが、足場がしっかりとしている以上、セイバーに負ける要素はない。

しかし、

「ちぃっ!ちょこまかと!」

360度、全方位を跳ね回る見慣れぬ機動を捕らえきれずセイバーは臍をかむ。

「貴方と正面からやりあうのは得策では無いので。ここは、引き延ばさせてもらいます」

この状況はあまりに不味い。

地力で勝る以上、長期戦に持ち込まれたところでセイバーに負けはない。

この不規則かつ特異な機動も時間が経てばいずれ慣れる。

だが、今は時間がないのだ。

今こうしている間にも、数百の命が危機に晒され、ライダーに魔力が溜まっていく。

ならば、手段など選んではいられない。

後始末は面倒になるが、この状況で打てる手はある。

閉鎖空間とも言える、このフィールドはライダーに有利に働くと同時に、逃げ場が無い事に他ならない。

「はあっ!」

放たれる鉄杭を弾き返し、確かに視界の先に、つまり前方の空間にライダーが居る事を確認する。

このタイミングしかあるまい。

魔力を集中。

意識は前方に。

「風王鉄槌っ!」

振り抜いた剣と共に放たれる暴風。

周囲の窓をたたき割り、壁を天井を床を削りながら、風は荒れ狂う。

「なっ!?」

逃げ場など、無い。

窓があるとは言え、限りなく狭く閉鎖空間に近い廊下では、風は不規則に暴れ、乱れる。

ましてや、自在に飛び跳ねているが故に、足場を固めていないライダーは足を踏みしめ堪えることも出来ず、これだけの風に煽られてまともに姿勢を制御することなど望めるわけもない。

「もらった!」

体勢を崩しながらも、辛うじて着地して見せたのは流石と言わざるを得ないが、既に手遅れだ。

金色の剣は真っ向から振り下ろされた。



2人のサーヴァントの戦域は瞬く間に離れ、後に残されるのは当然、マスターが2人。

「……慎二」

「……」

およそ5メートルの距離で対峙する、この地獄を招いた人間を睨み付ける。

例え友人だろうと、元凶であるならば手心を加えるつもりはない。

「警告する。今すぐこの結界をライダーに解かせろ。さもなくば……」

「……さもなくば、何だよ?」

へらへらと笑いながら、問い返すその姿に苛立ちと哀れみを覚えた。

――コイツは何も理解できていないのか。

「決まってるだろ。力ずくだ!」

時間は無い。

結界を解く意思がないのを確認したその瞬間に、先の彼女の如く駆け出す。

接触まで1秒とかかるまい。

「っち!喰らえ!」

だが、流石にセイバーの様に先手は取れなかった。

士郎の接近に対して、慎二はバックステップしながら黒い三筋の刃を撃ち出した。

(遅い)

セイバーに毎日の様に叩きのめされ、アーチャーからしごかれた彼にとって、それは最早攻撃ですら無い。

「投影開始」

0コンマ数秒で状況を判断し、左右に逆手に陰陽の短刀を呼び出す。

体が馴染んだのか前回ほどの違和感は無い。

右のそれを投擲し正面の黒刃に打ち当て相殺。

それでできた間隙を縫い、眼前の敵へと肉薄。

左脚を踏み込み、逆手の刃を振り上げる。

更に身を退き、辛うじて切っ先を躱した慎二だったが、想定外の踏み込みの速さに、容赦のかけらも見せない士郎の斬撃に、明らかに狼狽を見せていた。

「な、な……。本気なのかよ、衛宮」

「本気だ。もう一度言うぞ、結界を解け。腕の一本、落とすのに躊躇しないぞ」

そう、躊躇などする余裕はない。

今こうして話しているこの瞬間も数百人の命が削られているのだ。

例え友人だろうと、いや、友人だからこそ、その元凶を断つことを躊躇わない。

白刃を右手に再度創り出し、再び慎二へと迫る。


――それは最早闘争ですら無かった。


方や、怠惰とは無縁に飽くなき鍛錬を重ね、更にこの数日で修羅場をくぐり抜けてきた戦士。

方や、死すら理解できず、死の覚悟すら無い、勘違いしただけの半端者。

それはさながら逃げるウサギを狩る猛禽の如く。

数度の攻防で大勢は決した。

致命傷こそ無いものの浅く引き裂かれた傷からは血が滲み、既に逃げ腰の間桐慎二。

鋭い眼光のまま、再び陰陽の短剣を揃え、油断無く追い詰めていく衛宮士郎。

後は、殺すか諭すかの二択。

彼がどちらを選ぶかなど今更語るまでもないだろう。

普段であれば、だ。

この切羽詰まった状況。

直接的に訴えてくる真紅の視界。

一と数百の天秤。

それは、衛宮士郎に無意識の内に無慈悲な一撃を放たせるには十分すぎる程の条件だった。

「おおっ!」

右の薙ぎ払い。

辛うじて避けた慎二だったが、そのまま体勢を崩し座り込む。

(……獲った!)

恐怖に歪む顔。

――だが、それがどうした。

この地獄は、お前のせいだろうが。

脳裏にフラッシュバックするあの地獄。

あんな物は、もう、繰り返させない。

繰り返させてたまるか。

「うおおおおおおおおお!」

そうして、無慈悲に左の刃が振り落とされる。

「そこまでにしておきなさい、ボウヤ」

しかし、その刃が肉を切り裂く事はなく、乱入者の手によって、衛宮士郎は殺人を犯さずに済むことになった。

「……キャスター!」

乱入者の正体は、いつか見た魔女。

いつの間に寄ってきたのか、あの時と同じローブ姿で士郎のすぐ隣に立っていた。

「あら、随分と怖い顔ね。まるで、あの赤いの見たいよ」

そう言って手を放し、キャスターは慎二に向き直る。

そこでようやく、自分が何をしようとしていたのか認識した。

「……ありがとう。慎二を、殺しちまうところだった」

一気に頭に昇っていた血が引いていく。

激情にかられ、取り返しの付かない事をしてしまうところだった。

「どういたしまして。で、このボウヤがライダーのマスターで良いのかしら?」

「ああ」

「キャ、キャスター……。なんでお前が、衛宮の味方をしてるんだよ!」

狼狽も露わに喚き立てる慎二。

もう激情の念すら薄れていく。

その様はただただ哀れだった。

「あら?何を言ってるのかしら。貴方たちは私のマスターを、マスターの大切な人々を危機に晒した。ただソレだけの話よ?」

そうして掲げられた右手に紫色の魔光。

人間など確殺するだろう、その圧倒的なまでの神秘を載せた一撃。

「ちょ、キャスター!待て!」

「待たない」

結局、この死刑は執行人が変わるだけ。

間桐慎二に救いの道など開かれるはずなど無い。

だが、

「っ!?」

天井からの強襲によって、更に命を繋ぐ事になる。

上方に気配を感じて、咄嗟に間合いを放す士郎とキャスター。

「シンジ、無事ですか?」

降り立ったのは黒衣の女。

つまり、ライダーはセイバーの振り落としを避けると同時に霊体化しすり抜けてきたというワケだ。

「ボウヤ、セイバーは!?」

「いや、アイツはちょっと特別で天井は抜けられない……」

セイバーの身体能力なら、数十秒と掛からず駆けつけるだろうが、その数十秒が長すぎる。

「は?……っち。参ったわね」

「……ははは、形勢逆転だな、衛宮」

虚勢なのは分かりきっている。

だが、状況はあまりに悪い。

ライダーの対魔力を突破するには、如何にキャスターとて些かの構成を練る時間が必要だ。

そして、ライダーの速さとそれはどちらが上回るか、この距離では五分と五分と言ったところ。

更に言えば、純粋に戦闘において、キャスターはライダーに遥かに劣る。

そして、双方共に時間は無い。

方や数百の命。

方やセイバーの救援。

単純により切羽詰まっているのは後者ではあるが、前者も一秒でも早くかたをつけるに越した事はない。

故に、にらみ合いは僅かの間。

始動は同時。

そのゼロコンマ数秒の刹那に悟った。

キャスターの詠唱は間に合わない、と。

放たれた鉄杭、そして詰め寄るライダー。

その波状攻撃を止める術は、キャスターには無い。

だが、出来る事は、ある。

「投影開始!」

同時に轟音。

キャスターの眼前に巨大な石斧が顕現し、ライダーの攻撃をシャットアウトする。

「えっ!?」

「なっ!?」

二重の驚愕。

だが、それでも、立ち直りはライダーの方が早い。

石斧に食い込んだ鉄杭を即諦め、石斧を回り込み、キャスターに肉薄。

「シッ!」

立ち直りの遅れたキャスターがそれに反応できるはずもなく、スピードを載せた上段蹴り
が無防備なキャスターの側頭部に迫り、

「っ!?」

予想外の一撃がそれを弾き飛ばした。

「無事か。キャスター、衛宮」

サーヴァントの一撃を弾いて見せた男は事も無げに、ただいつもの抑揚のない声を発するのみ。

「せ、先生!?」

「宗一郎様!」

そう。

穂群原学園の教師、葛木宗一郎が、どこかヒットマンスタイルを彷彿とさせる構えでソコに立っていた。

「士郎、大丈夫?」

続けて駆け寄って来たのは遠坂凜。

「と、遠坂。コレはどういうことだよ?」

「見たまんま。先生がキャスターのマスターっだったってことよ」

「マジ……?」

「シロウ!ご無事で……キャスター?」

そして、最後にセイバーが戦場にたどり着いた。

「あら。随分とゆっくりとした登場ね。セイバー」

「……これは一体?」

士郎と凜はともかく、キャスターと見知らぬ男に何故か廊下に突き立つ巨大な石斧。

この取り合わせで困惑するなと言う方が無理だろう。

「話は後だ。とにかくアイツらを止める」

「さて、ライダー。間桐。この状況でまだやるのか」

単純に考えて三倍以上の戦力差。

どれ程の阿呆でも、取る選択など決まっている。

「……っぐ。ライダー結界を解け」

「良いのですね、慎二」

「ああ!早くしろ!」

嘆息と共に、視界の赤が薄れていく。

数秒と掛からず、学舎はいつもの光景を取り戻した。

「さて、慎二。……責任はとらなきゃね?」

先刻までの地獄をもたらした元凶に容赦を掛けるつもりなど微塵もない様子で、あかいあくまがそう告げる。

この場において、もはや抵抗などすまいと確信した態度。

そう、常識的に考えれば、三対一のこの状況など打開する策はない。

だが、これは常識外の修羅の巷。

切り札は常に、全てのサーヴァントに配られている。

兎にも角にも結界は解除させたと言う、その一瞬の弛緩を見逃さず、ライダーは石斧の裏、つまり死角に回る。

同時に咆吼。

「騎英の手綱!」

そう宝具という切り札がまだ残されているのだ。

発動するだけの魔力はこの結界の展開で補えたのだ。

「っ!?」

「しまっ……」

膨大な魔力。

その破壊の予兆に、士郎や凜は愚かキャスターすらもが瞠目する。

思考すら許さぬ圧倒的速度で周囲の全てを破壊する弾丸。

死角を作っていた石斧すらも一瞬で塵芥へと粉砕し、圧倒的なまでの死の気配と共に、白き閃光は5人の命を飲み込まんと迫り来る。

だが、

「――全て遠き理想郷」

そんな神代の奇跡を顕現させた絶対の一撃は、セイバーの紡いだその一節で、いとも容易く押しとどめられた。

「嘘、だろ……?」

その奇跡を目撃し、更なる驚愕に表情を歪ませる周囲とはただ一人違った反応を見せる男。

同じ光景を彼は見たことがあった。

今この時と同様に、膨大なエネルギーを秘めた一撃を容易く防ぎきった、宝具を知っていた。

そして、彼の中で全てが繋がる。

(……まさか!?)

夢に見た物語。

助けられ、叱責を受けたあの日。

数々の助言とあの剣。

全てを繋げる答えが見えた。

(アイツは……俺の……セイバーの……)

次の瞬間、突然に視界に赤が炸裂した。

「っ!?」

光壁に血濡れの剣がぶち当たったのだ。

ライダーの腹部を貫通し、そのまま何か白いモノを打ち貫いたのは歪な黒い剣。

眼前の圧倒的な力が一気に霧散した。

「勝機っ!」

一閃。

一瞬遅れて首が零れ落ちる。

それは白い馬の首だった。

そのまま踏み込み、ライダーの胴を逆薙ぎ両断。

返しの唐竹割で肩口から股下まで馬の胴ごと叩き斬る。

そして、

「おおおおおおおおおおっ!」

裂帛の気合いと共に放たれた一突きがその頭蓋を貫通した。

瞬く間の鮮やかな四連撃。

それで勝負は決した。

令呪すら使うことを許さぬ刹那の斬殺劇。

頭蓋を打ち貫いた剣が少しずつ軽くなっていく。

塵となり崩れ行くヒトガタだったもの。

ここに、ついに二人目の脱落者が決定した。


――そして、それは、もう一人の男が待ち望んだ瞬間でもあった。

「……これで、決まるか」

左手の弓には既に魔力を充填した赤原猟犬を番えてある。

位置はライダーを挟んで、ちょうどセイバー達と反対に位置する廊下の先。

結界の解除を確認したと同時に、即座に駆けつけたのだ。

彼の知る戦争の流れならば、此処でライダーが宝具を使用する事は目に見えていた。

ならば、ここはそれを確認する絶好の機会だった。

然して、

「騎英の手綱!」

「――全て遠き理想郷」

全ては彼の思惑通りに運び、最後のピースは埋められた。

胸にわき起こる歓喜、そして闘志を押しとどめ、今はただ為すべき事を遂行する。

いくらセイバーと言えど、あの宝具を発動した状態のライダーと天馬に切り込む事は出来まい。
キャスターの魔術ではあの神秘を貫通する事は叶うまい。

ならば、背後からのこの一手がこの場での勝利には必要不可欠。

そうして彼は、右手を放す。

その矢のもたらす結末を再び語る必要はないだろう。

語るべきはこの後に起こる事。

これから、彼が為す事。

全ての条件はクリアした。

そう、後は如何にその状況に持ち込むか。

ただ、それだけだ。





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