覚悟は出来た。

あんな話を聞かされたら、知らないふりなんてしていられない。

何が起こっているのかも知る事が出来た。

幸い、俺には止める手だてがある。

ならば、彼女の力を借りて、戦うだけだ。

絶対に、俺みたいな悲劇は繰り返させない。

それが、俺の、俺自身の、望みだ。



第三話 「射殺す百頭」



教会からでるなりセイバーが声をかけてくれた。

「シロウ。話は終わったのですか」

あの神父のワケの分からぬ重圧もそれで少しは紛れてくれた気がする。

「ああ。終わった。事情は嫌って言うほどわかった。聖杯戦争の事も、マスターの事も、な」

「どうするのですか?」

歩み寄ってきた彼女が俺の瞳を真っ直ぐに見つめ尋ねてくる。

当然だろう。

彼女は言っていた、俺と彼女は一蓮托生だ、と。

ならば俺の選択は他人事では済まないのだから。

その瞳を正面から真っ直ぐに見返し、確固たる決意と共に答えを告げた。

「俺は、戦うよ。マスターとしてこの聖杯戦争に参加すると決めた。半人前で悪いんだが、俺に付き合ってくれるか、セイバー」

絶対に、俺の様な犠牲者を出すわけにはいかない。

この戦い自体を止めることは恐らく無理だ。

だが、せめて少しでも犠牲者を減らせるのならば戦う理由はある。

そして、そのための力はここにあるのだから。

「もちろんです。私は貴方の剣、そう誓いました。貴方が戦うというのなら、それに従います」

そう、セイバーははっきりと宣言してくれた。

その声には一切の迷いは無く、真っ直ぐにこちらを見つめる瞳は、先刻の宣誓の時と同様。

疑いを挟む余地などどこにも有りはしない。

「……そうだな。そうだった。セイバーがそう言ってくれると、俺も助かる」

そうして、一呼吸。

改めてセイバーと向き合う。

「それじゃ、握手だ。これからよろしくな、セイバー」

手を差し出す。

方向性だけは決まっているが、正しいマスターとサーヴァントの関係とか、何をすれば良いか何てまだまだ実感として伴わない。

だから、せめて挨拶ぐらいはちゃんとしておきたかった。

「ええ。よろしくお願いします。シロウ」

言って、セイバーも手を重ねてくる。

「今一度、この場で誓います。私は貴方の剣。最後まで貴方と共に戦い抜きましょう」

「ああ。まだ分からないことも多いけど、頼む」

固く結ばれた手は、彼女の言葉を確かに裏付け、このどこまでも掴めない非現実の中で唯一頼れる暖かさを湛えていた。

「――ふぅん。その分じゃ放っておいてもよさそうね、貴方たち」

「へ?……うお!?」

何の事かと思えば、さっきから延々と握手したままだった。

改めて状況を考えれば照れくさい事極まりなく思わず手を引っ込める。

振り返るといつの間にやらに赤い二人組がすぐそばに立っていた。

「仲良いじゃない。さっきまでは話もしなかったのに、たいした変わりようね。なに、セイバーのことは完全に信頼したわけ?」

「え、あ、いや。そうだな。うん。まだ、セイバーの事は全然分からないけど、セイバーは信用して良いと思う」

その遠坂の問いに、思いのままを口にする。

事実、俺はセイバーを信用している。

彼女は絶対に自分の言葉を違える様な真似はしない。

この短い間だけでもそう確信できる程に、彼女の在り方はある種、清々しいものだった。

「そ。なら、精々気を張ってなさい。貴方たちがそうなった以上、私たちは容赦しないから」

「ん?なんでさ?」

意味が分からない。

はて、と首をかしげる。

「……あのね。私たち、敵同士なんだけど?ここまで連れてきてあげたのは、貴方がまだ敵にもなっていなかったからよ。で、これで、衛宮君はマスターになったんだからやることは一つでしょ?」

見るからに呆れた様子で遠坂が言葉を続ける。

「いや、それは分かってる。でも、俺、遠坂と戦う理由無いぞ?」

だって、遠坂は俺の敵ではないんだから。

「……はあ。やっぱりそう来たか。まいったな、これじゃ連れてきた意味が無いじゃない」

がっくりと肩を落とす遠坂。

だから、なんでさ?

「凜」

男の声。

「何よ?私がいいって言うまで口出しはしない約束でしょう?」

「それは承知している。だが、君とこの男の前提に食い違いがある以上、このままでは埒が開かん」

そう言って、アーチャーは言葉を続ける。

「要するに、この男は我らと戦うつもりは無いと言うだけの話だ。と言うより、君を敵として見ることが出来んのだ」

「おう」

素直に頷く。

その通りだった。

だって少なくとも悪人ではないだろう、どう考えても。

「この男の敵は、キャスターのような無差別に周囲を巻き込む、手段を選ばん連中のはずだ。であるからして、君の様な、ある意味お人好しとも取れる人間を敵とは見なせん」

「キャスター?」

「ああ。ガス漏れと言われている、連続集団昏倒事件の主犯が恐らくキャスターだ」

「そう……だったのか」

告げられた事実は既にこの下らない手前勝手な戦争が一般人を巻き込んでいるというもの。

わき上がる感情は、久方ぶりに覚える、純然たる怒りだった。

「で、だ。更に付け加えれば、ある種、巻き込まれた形であるが故に、この男は聖杯を求めていない。先ほど話したのだが、セイバーもまた同様だ。ほら、これで分かっただろう。我らに敵対する要素は何一つ無い。敢えて、セイバーを敵に回すのは得策とは思えんがな」

何だ?話が変わってないか?

「なに?つまり、手を組めって言いたいわけ?」

遠坂がアーチャーを睨み付けている。

「そこまでは言ってないさ。わざわざ敵を増やす必要は無いと言うことだ。2対5、とまでは行かなくても、1対6が4や3になれば、随分と楽だろう?最終的に戦う事になるのだとしても、それまでに無駄な労力は避けるに越したことはない」

「まあ、それは分かるけど……」

その言葉にアーチャーは満足げに頷く。

まだ知り合って大した時間も経ってはいないが、そのあまりにも満面の笑みはどうみても一石投じる前準備なのは確信できた。

「ならば、君も無理をしなくても良いと言うことだ」

「なっ!?どういう意味よ!」

「さてね。まあ、私は消えているとしよう」

「ちょっと!ねえ!」

完全にダンマリを決め込むらしく、遠坂の抗議を避ける様にアーチャーは霊体化。

後に残るのは、振り上げた拳を下ろし損ねた遠坂の叫びのみ。

そんな叫びは、完膚無きまでに壊れ尽くした幻想を綺麗さっぱり洗い流し、新たな現実を認識するのには十分なものだった。

要するに、「ああ、これが素か」って言うだけなのだが。





夜を歩く。

凜を先頭に、ここの「俺」とセイバーが後ろに並ぶ。

先ほどのやり取り以降、目立つ会話もなく、教会前の坂を下り、道が平らになった頃に凜が言った。

「ここまでね。あとは貴方たちだけで帰って」

「そっか。マスターを捜すのか?」

その問いかけに凜は頷く。

「ええ。意外にしっかりしているじゃない。せっかく新都まで来たんだから、ただで帰るのは勿体ないもの。貴方とは違って、私はこの戦争に積極的に参加していくつもりだし。セイバーの分、他のヤツにぶつけないと気が済まないわ」

同感だ。

本当に意外だ。

コイツは本当に衛宮士郎なのかと言いたくなる様な察しの良さだ。

「だから、ここでお別れ。アーチャーのヤツはああ言ったけど。手を組む気はないし、次会ったら、全力で潰すから。これ以上一緒にいてもお互いやりにくくなるだけでしょう?」

本当に頑ななマスターだ。

まあ、そうは言っても、わざわざこんな忠告をする、世話焼きな彼女のことだ。

どう転ぶかは分かりきっている。

そこが彼女の彼女たる所以なのだから。

「――ああ、遠坂、良いヤツなんだな」

全く持って、その通り。

と言うか、似た様な台詞を吐いた気がするな、俺も。

「は?何よ、突然。おだてたって手は抜かないわよ」

「知ってる。けど出来れば敵同士にはなりたくない。俺、お前みたいなヤツは好きだ」

「な―――!」

絶句する我がマスター。

しかし、朴念仁もここまで来ると尊敬ものだ。

自身の台詞がどう取られるかなどまるで理解すらしていない。

俺もこんなにも鈍かったのかと思うと少々頭痛がしてくる。

まあ、鈍い人間とは、一概に自覚がないもので、思い出そうとしてもどうしようもないものだ。

取り敢えず、口は出さずに黙っておくとしよう。

それに、もうすぐ「彼女」が来る。

「と、とにかく、セイバーがやられたら、教会に駆け込みなさい。そうすれば命だけは助かるんだから」

「ああ。気が引けるけど一応聞いておく。けど、どう考えても、俺の方がセイバーより短命だ」

「……はぁ」

盛大な溜息。

まあ、今ならその気持ちが理解できなくもない。

あまりのズレっぷりにこちらまで頭が痛くなってくる。

「いいわ、これ以上の忠告は本当に感情移入なっちゃうから言わない。精々気をつけなさい。いくらセイバーが優れているからって、貴方がやられちゃったらそれまでなんだから」

そうして、凜が振り向き歩き出す。

だが、彼女の足はあたかも凍り付いた様にぴたりと止まった。

「来たか――イリヤ」

呟きは限りなく極小。

久方ぶりに発するその名は自身への戒め。

ここが一つの分岐点である事を刻み込むための名。

「―――ねえ、お話は終わり?」

幼い声が響いた。

歌う様なそれは、よく知る音色。

そして、いつのまにか晴れた空に浮かぶ煌々と輝く満月に照らされ、異形の化け物が一匹。

(成る程。たいした化け物だ。同域に至ってこそ、分かるものもあると言うことか)

その隆々たる体躯。

鋼鉄の体。

迸る威圧感。

そして、死の気配。

あの化け物に殺されかけたこともあれば、血濡れの彼女の姿も未だ脳裏に刻まれている。

どれ程の化け物なのかなど、とうに知っていた。

だが、こうしてサーヴァントと言う、同じ土俵に立ったからこそ、その桁外れさがようやく「理解」できた。

「こんばんは、お兄ちゃん。こうして会うのは二度目だね」

イリヤが微笑む。

無邪気な笑み、例えるなら、天使とでも言おうか。

だが、その無邪気さと酷薄さに心が痛む。

「驚いた。アレ、単純な能力だけならセイバー以上じゃない」

舌打ちしながら、凜が誰とも無しに呟いた。

アレの強さを理解していながら、尚も気丈なその様は流石と言わざるを得ない。

「アーチャー。アレは力押しじゃどうにもならないわ。貴方の本来の戦い方に徹するべきよ」

冷静な判断だ。

アレ程の暴力を前にして、挑むという選択を取る事が出来る上に、対抗策もまた適切。

「そうでもない。あの程度なら、どうとでもなる」

甚だしい間違いを前提とした物ではあるが。

『……は?』

三つの声が綺麗にハモる。つまり、セイバーすら声を上げたと言うことか。

「へー、私のバーサーカーに勝てるつもりなんだ?」

「ああ。彼がセイバーやアーチャーのクラスだったならともかく、バーサーカーではな。ま、ウドの大木と言っても君には通じんだろうが、魂無き業では私には届かんよ」

事実だ。

魔力は潤沢。

手札はそれこそ無限。

13度、殺し尽くすことは叶わないまでも、正面からやり合って、勝てぬ相手ではない。

「ちょっと、アーチャー!何言ってんのよ!」

怒号が響く。

確かに、手札を全て明かしたわけではないが、せめてもう少し信用してくれても良いのではないだろうか。

「そうです、アーチャー。ここは私に任せて、貴方は援護をお願いします」

セイバーまでもが、アーチャーとして戦えと言っている。

先ほどの話が事実なら、彼女もこの化け物が如何に桁外れか理解しているはずだが、勝算でもあるのか、あるいは前回と状況が違うのか。

「分かった。援護に徹するとしよう。ただし、やり方は任せて貰う。凜を頼むぞ、セイバー」

疑問も程々に提案を呑む。

結局、近中遠、どの距離であろうとヤツを殺すカードは、「あの丘」にある以上、これ以上の問答など何の意味も持たない。

「相談は済んだ?なら、始めちゃって良い?」

去り際にそんな言葉が聞こえた。

その酷薄さと無邪気さの同居する響き。

やはり、心が痛む。





「はじめまして、リン。わたしはイリヤ。イリヤスフィール・フォン・アインツベルンって言えばわかるでしょ?」

「アインツベルン―――」

その名にリンが絶句する。

あのバーサーカーのマスターが、自分と同じ所謂御三家の一人だというのだからそれも仕方ないだろう。

「二人とも、下がって下さい」

セイバーは雨合羽を脱ぎ捨て、二人の前に立つ。

あの化け物を相手にするには、全霊を賭さねばなるまい。

エクスカリバーを構え、力を溜める。

「―――じゃあ殺すね。やっちゃえ、バーサーカー」

その言葉と共に、黒の巨人は弾丸と化した。

一足で坂の上からここまでの距離を詰める。

セイバーは即座に落下点に詰め寄り、振り落とされる石剣に全力で聖剣を振り当てる。

その一撃で、全身が軋んだ。

その威力に、前回よりはいくらかマシな状態とはいえ、一撃一撃を全力で振るわなければ数合で押し切られることを確信する。

「はあああああああああああああああああああ!!」

二撃目。

迫るは左上段からの振り下ろし。

その一撃に技術は無い。

魂も無い。

されど、その一撃は神速にして最速。

軋む体を無理矢理に動かし、正面から弾き返す。

轟音。

体がずれる。

あまりに重すぎる。

せめて有利なフィールドに誘い込めれば拮抗は可能だ。

だが、狂戦士はそんな思考すら許さない。

三撃目。

純粋な振り下ろし。

瀑布の如き一撃。

巻き起こる颶風。

されど、その一撃は軌道を変え、大地を割る。

「なっ!?」

想定外の事態に、合わせるべく振り上げた剣は空を切り、体が泳ぐ。

だが、そこは剣の英霊。

即座に体制を整え、第四撃に備える。

四撃目。

右上段からの振り下ろし。

ちょうど先の一撃が右にずれた形だったため、自然に振り上げ、振り下ろす形だ。

だが、その一撃もまともに繰り出されはしなかった。

その要因をセイバーは確かに見た。

無数の矢。

尋常でない速度で飛来する矢が、ピンポイントにその石剣を捕らえ、軌道をずらしているのだ。

それは、一体どれほどの技量だというのか。

バーサーカーの攻撃に影響を与えるほどの、あれだけの威力、すなわち速度を維持したままの速射。

しかも、狂っているが故の無秩序かつ神速の攻撃速度すらも凌駕、先読みして、だ。

にわかには信じがたい程の腕。

これが聖杯戦争に呼ばれた、「弓」の英霊の実力だとでもいうのか。

頭の片隅でその技量に驚嘆しながらも、セイバーは決して手は休めない。

攻撃の手が緩くなるのなら、十分に反撃は可能なのだから。

「だああああああ!!」

全力の一撃。

軌道のずれた石剣の横っ腹に、聖剣を叩き付け大きく体勢が崩させる。

さらに一歩深く踏み込み、

「はあっ!!」

全身を躍動させ繰り出された渾身の一撃に血が舞った。

聖剣は狂戦士の脇腹から食い込み、その鉄板の如き胸板の中程まで、その身を埋没させている。

如何に「十二の試練」といえど、その防御を上回る攻撃であれば、抜けない通りは無い。

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■―――。」

巨人の咆吼。声ならぬ声が夜の街を震撼させる。

それは苦痛の証明。

だが、それは同時に命の証明。

即座にセイバーは聖剣を引き抜くべくその両手に力を込める。

だが、

「くっ、抜けなっ――!」

その筋肉の鎧は、彼女の剣をくわえ込んで放さなかった。

「■■■■■■■■■■■■■――!!!」

動けないセイバーに迫る、左の拳。

彼女の顔を遙かに超える巨大なソレは、

「――■■■■■■!?」

またしても、矢によって軌道を変えられる。

(ゴッドハンドを通した?一体どれほどの威力だと?)

疑問が頭をよぎる。

バーサーカーの宝具、ゴッドハンドは一定以下の水準の攻撃を完全にシャットアウトする。

さらに自身の神性の高さも相まって、バーサーカーの防御能力は他のサーヴァントを圧倒的に凌駕する位置にある。

先ほどの様に、石剣だけを狙い打つならば、宝具そのものである肉体の影響を受けずに攻撃を当てられるだろうが、今の場合は全くの別だ。

単純に語れるものではないが、宝具クラスの一撃でなければその守りは突破できない。

ならば、それだけの威力、神秘が今の矢に宿っていた。

そう考えるしかないのだが、その腕に突き刺さった矢は、速度こそかなりの物であったが、ごく普通の木製の矢にしか見えない。

思考もそこそこにセイバーは両の腕に力を込め、魔力を炸裂させ、聖剣を強引に引き抜く。

そして、勢いそのままに体を回転させ、

「はああああああああああああああ!!」

バーサーカーの土手っ腹に強烈な一撃を見舞った。

またしても、その一撃はバーサーカーの肉体に食い込み、確実に損傷を増やしていく。

前回では考えられない状況だ。

二対一とはいえ、あの狂戦士相手に完全に優位に立っている。

「■■■■■■■■■■■■!!」

薙ぎ払う様に振るわれる石剣。

だが、ソレすらも最早速さが足りない。

無論、痛み程度で怯む様な化け物ではない。

速度の低下は、その肉体に刻まれた2つの巨大な切創によるもの。

通常であれば疑う余地無く命に届くはずの傷を負いながら、尚も行動を止めないことは流石と言わざるを得ないが、肉体の損傷はその機能を確実に低下させていた。

そんな劣化した一撃を食らう彼女ではなく、この状態であれば最早彼女一人であっても十分に対処しうる

「バーサーカー!!」

イリヤスフィールの悲痛な叫びが耳に届く。

例え、その少女が彼女の娘だからといって、手心を加えるつもりはない。

どれほどのダメージが蓄積していようとも、その一撃一撃が致命傷に至る物であることに変わりはないのだ。

手心など加えたらその瞬間に勝負が決する。

「ふっ!」

再度の斬撃に舞い散る鮮血。

戦況は一方的になりつつあった。

蓄積されていく損傷は、バーサーカーのスピードを確実に削いでいく。

そして、スピードが削がれればより余裕を持って攻撃を捌き、的確に斬撃を当てていくことが可能になる。

だが、決め手がない。

通常の斬撃では、その命に届かない。

アーチャーの矢も貫くところまでは届いていない。

かと言って、エクスカリバーをこの町中で使用することは出来ない。

魔力を調節して、バーサーカーだけを捉えるのも不可能ではないが、仕留め損なえばそれで終わる。

それ以前に、エクスカリバーの解放はシロウがマスターでは禁忌と言っていい。

残る手は、アーチャーの宝具。

それがどれほどの物かは分からないが、間違いなくバーサーカーの命には届くハズだ。

そうでなくては、あの時、バーサーカーを倒せた説明がつかない。

そして、その時は思いの外あっさりと訪れた。

「■■■■■■■――――。」

咆吼は唐突に止んだ。

「なっ!?」

セイバーの一撃に体勢を崩したバーサーカー。

次の瞬間、その胸には大穴が穿たれていた。

その暴虐とまるで釣り合わない、あまりにもあっけない死。

バーサーカーを貫いたのは、一本の矢だった。

地面に突き刺さるその姿からは、極めて高い神秘性は見て取れるが、宝具としてでは無く、純粋に武具として放たれたソレがゴッドハンドを貫き、その心臓すら穿って見せたのだ。

その光景に誰もが言葉を発することが出来ずにいた。

あれだけの暴虐を見せていたバーサーカーが、ただ一本の矢で沈黙した。

その事実はそれ程までに信じがたいものだったのだ。

その宝具の全容を知るセイバーやイリヤスフィールは勿論のこと、ただ実感としてその出鱈目さを感じ取っていた二人のマスターも絶句していた。

そして、その衝撃から真っ先に回復したのは、

「……はっ。ご自慢のサーヴァントが形無しね。ウドの大木には私のサーヴァントの相手は勤まらなかったみたいね、アインツベルン?」

リンだった。

若干引きつりながらも、笑みを浮かべ、前に出ながら少女に語りかける。

「……ええ。素直に認めるわ。貴方たちを侮っていたみたい」

もしも、彼女に余裕があれば、その違和感に気づけたのだろう。

自身のサーヴァントが撃破されたというのに、全く動じていないその振る舞い。

死して尚その場に在り続ける、鉄色の巨人。

それらの事象の意味する事実に。

「でもね、リン」

その顔に、酷薄な笑みが浮かぶ。

あまりに現実感を伴わない一撃にセイバーですら、僅かに反応が遅れていた。

「私のバーサーカーは死んでないの」

瞬間、巨人の瞳に再び光が灯る。

「■■■■■■■■■■■■!!」

咆吼。

屍が再動する。

魔術師の少女へと振り落とされる、巨大な石剣。

「―――え?」

予想だにしない攻撃に動けない少女。

だが、セイバーの懸念はそこではない。

少女は動けない。

だが、動ける人間を、否、この局面で絶対に動いてしまう人間を彼女は知っている。

しかして懸念通り、視界の先で少女の者ではない鮮血が舞う。

「シロ――」

その鮮血の主の名を叫びかけ、そして、彼女は見た。

赤い影を。

気付いた瞬間には敵の懐に。

男の左手には、長身の彼ですら不釣り合いな引き絞られた大弓。

バーサーカーとはほぼゼロ距離。

やや上向きに構えられたソレには既に莫大な魔力が注がれていた。

猛るその様はさながら飢えた獣。

そして、その刹那に名が紡がれた。

「―――射殺す百頭」

弦から指が離れる。

迸る魔力。

爆裂する閃光。

その内より解き放たれるは九頭の荒れ狂う竜。

九頭の獰猛な暴力は易々と鋼の肉体に牙を突き立て、狂戦士の上半身を貪り尽くし、真円の月へと駆け上がる。

後に遺るは蹂躙の痕、血を吹き上げる巨人の下半身。

そして、静寂。

「…………」

絶句した。

シロウの元へ駆け寄ることすら忘れた。

今、目前で放たれた破壊の一矢。

それはあの巨人の守りを容易く打ち破った。

その威力は、範囲の差異こそあれど、自身の聖剣に匹敵する。

星造の剣に匹敵する弓。

即ち、神代の魔弓に他ならない。

そんなものを持ち、完全に扱いきるあの弓兵は、一体何者なのか。

「さて、イリヤ。提案があるのだが」

セイバーを現実に引き戻したのはその弓兵の声。

我に返るやいなや、彼女はマスターの元へ駆け寄る。

視界の端に写ったイリヤスフィールは狼狽している様に見えた。

「……な、何?」

背後から聞こえるその声からは、先ほどまでの余裕は窺えない。

むしろ、怯える子供の様な印象すら覚える。

今の破壊を目の当たりすれば、誰であろうと恐怖を覚えて当然だ。

例え、未だそのサーヴァントが健在だとしても刻まれた恐怖は払拭しきれはしない。

「シロウ!リン!」

倒れているシロウの元に駆け寄る。

その背は、あまりにも悲惨な有様。

脊髄損傷どころの話ではない、常人であれば確実に即死であろう傷。

上半身と下半身がほぼ皮一枚でつながっている、言い換えれば、骨盤から肋に掛けての腰の部分がごっそりと削り取られている状態。

すなわち紛れもない致命傷に他ならない。

「…あ、せいばー?」

反応したのはリン。

状況がいまいち理解できていない様だが、彼女に構っている余裕は無い。

「リン、動かないで!まずはシロウを!」

セイバーはそのままシロウに手をかざす。

いくら鞘の加護があったとしても、蘇生は不可能であり、出血多量でも死に至りうる。

幸いにして、今回は間に合ったらしい。

彼女が手を触れると、瞬く間に傷が塞がっていった。

分かってはいたが、改めて見ると不思議な光景だった。

「……う…あ。セ、イバー?俺……?」

シロウが身じろぎ、

「大丈夫です、シロウ。喋らないで。直ぐに癒えます」

「…け……ん?」

うつろな瞳のまま、何か言葉を発した。

目線は傷に。

「……?」

意識の混濁故の言葉か、意味は分からなかったが、傷は順調に癒えている。

この分なら、朝までには十分に回復するだろう。

「……わ。ここで、終わりにしてあげる。」

ふと、イリヤスフィールの声が聞こえた。

いや、正確にはシロウの容態が安定し、背後の声を認識する余裕が出来ただけのことだ。

「そうか。では、また会おう、イリヤ」

その言葉を受け、アーチャーが頷いたようだ。

大方、この辺りで分けにしよう、とでも交渉したのだろう。

「また会おうね、お兄ちゃん」

シロウの様子を確認してか、そう笑顔で言い残し、その従者と共に彼女は去っていった。

どうやら、当面の危機は去ったらしい。

シロウは一命を取り留め、リンも擦り傷程度。

両サーヴァント共に魔力の消費以外はほぼ無傷。

バーサーカーを少なくとも二度殺した。

あの狂戦士を相手にして赫々たる戦果だ。

だが、セイバーの胸中には釈然としない思いが渦巻いていた。

この戦果の最大の立役者は疑う余地もない。

だが、不可解だった。

バーサーカーとの打ち合いで、援護が加わったのは三合目から。

時間的に、狙撃に適した場所への移動までに二合分の時間を費やしたのだと考えられる。

ならば、彼は初見にして、バーサーカーの斬撃の軌跡を読み切り、対応し、正確無比な速射を見舞ったと言うことになる。

それだけで、驚嘆に値する。

しかも、その肉体にではなく石剣に、だ。

彼の宝具の特性を看破していなければ、初手から石剣を狙うという選択肢は選べはしない。

また、一度目の殺害において放った矢。

あれが、ゴッドハンドを貫通できた理由も不明だ。

威力はともかくとして、あの矢らしかぬ矢、一言で言えば木の枝を編んだ様なもの、がそれ程の神秘を秘めているとは思えなかった。

そして、二度目。

あのタイミングで、バーサーカーの懐に飛び込み、宝具を解放する。

距離的に事前に察知していなければ出来ない芸当だ。

加えて、あの宝具、ナイン・ライブズ、による攻撃は紛れもなく最大純度の一撃だった。

魔力の充填は十全であり、威力、範囲から考えて、大量の魔力が必要なのは明白。

であれば、あの枝の矢を放った次の瞬間には次の行動を開始しなければ間に合わないはずだ。

それはすなわち、あの状況でバーサーカーが尚生きていることを知っていたとしか思えない。

そして何よりも、あの宝具「射殺す百頭」はヘラクレスの、バーサーカーの宝具に他ならない。

「すまんな、セイバー。君のマスターに借りが出来てしまった」

果たして、この弓兵は何者なのか。

「アーチャー。どうなったの?」

リンがアーチャーに尋ねるがどこか覇気が無い。

これだけの惨状に、いや、恐らくは純粋にシロウの多量の出血にショックを受けているのだろう。

「交渉の結果、お引き取り願った。取り敢えず、結果だけ見ればこちらの大勝だろう」

さも当然と言うかの如く平然と答えるその様からは、何の動揺も、昂揚も感じ取れない。全ては、想定した通りの結果だったと言うのか。

「……そう。なら、帰りましょう。彼を家まで連れて行かないと。……大丈夫なのよね、セイバー?」

「ええ。傷自体はほとんど塞がりました。内部はもう少しかかりそうですが、私がそばにいれば大丈夫です」

その表情が安堵に緩む。

そんな姿にセイバーも気が緩む。

彼女はやはり良い人間だと、再認識した。

「貴方が?契約の副産物?」

余裕を取り戻したのか、こちらに問いを投げかけてくるが、まだ正直に答えて良い段階ではない。

「ええ。そうです。シロウ、立てますか?」

提示された事象を素直に肯定し追求を避け、シロウに声を掛ける。

返事は返ってこなかった。

あの傷と出血では当たり前だが意識を失っている様だ。

「意識を失った様だな。あの傷と出血では仕方あるまい。索敵は私に任せて、君が負ぶっていけ」

偶然にも背から掛かる声は同一の内容。

「ええ、頼みます」

そう応え、シロウを背中に担ぎ上げる。



かくして、苛烈なる一日は、全体としての流れを大きく変えることなく終了した。

だが、彼女の胸中に渦巻く疑念はなお深く。

同様に、彼の抱く煩悶はなお色濃く。

ここから物語は大きく狂い始める。




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