あれから一ヶ月。
今夜は、入院していた桜の快気祝いと言う事で、衛宮邸にて大規模な宴会が開かれていた。
曰く、
「色黒で白髪の背の高い人が助けてくれた」
らしい。
あの野郎、しれっと最後の最後まで美味しいところを持っていきやがった、と半ば呆れ気味に、ただどこまでも嬉しそうに告げる遠坂の理由が分かったのはつい最近のこと。
ただ、そこに触れるべきは今では無いだろう。
今は、この時を、心の底から祝い、楽しむべきだ。
そう、これはきっと俺にとっても新たな一歩。
衛宮士郎と言う人間が少しでも変わるための小さな一歩なのだろう。
――夢は夢であるがままに涼やかに
エピローグ1「愛している、ってのは格好つけすぎかな」
あの戦争が終わって、多くの事が変わった。
衛宮邸に入り浸る人間は二人増え、新たな事実が判明し、自分はかつてより遥かに魔術師として進歩し、そして、何よりも、晴れて遠坂凜の恋人となったのである。
特に、最後の一つは判明した瞬間、瞬く間に校内に広まり、周囲で恐懼疑惑、喧々囂々、悲喜交々、もう色々と酷い事になったのはもはや良い思い出だ。
美綴がやたらにどん凹みしてたのと、一成が世界の終わりみたいな顔をしてたのが印象深いが、つまり、どういうことなのかは良く分からない。
それと、桜。
申し訳なさそうな遠坂と、複雑そうに笑う桜が対照的だったが、最終的には何か憑き物でも落ちたかの様に晴れやかな笑みを浮かべた桜と共に仲良く笑っていたから、問題は無いだろう。
変わらないものも、もちろんあるが。
「酒もってこーい!酒!酒!酒ー!」
この人とか、ね。
ちなみに、手に持ってラッパ飲みしてるのは「虎殺し」と銘のついた一升瓶。
買って来たの誰だよ。
「ハイハイ、藤村センセ。まだ入ってるじゃないですか。まずそれ空けましょうよ、ね?」
なだめる遠坂もほんのりと顔を染めている。
今夜は無礼講。
正義の味方も今夜ばかりは見て見ぬふりを通すのだ。
「そうそう。酒はまだまだあるんだから、まずは手持ちから片付けろよ、藤ねぇ」
「だああああああああああ!誰のせいだと思ってるんじゃ、このバカップル!こんな時までイチャイチャすんなあああああああああああ!!!」
これだから、この虎は。
っつーか、バカップルって何だ、バカップルって。
「元気ねー、タイガ」
「元気ですねー、藤村先生」
喧噪から離れ、のほほんとジュースを飲むのは妹分×2。
最初は、イマイチウマが合わない様だったが、今ではすっかり馴染んでいる。
「ところで、サクラ?」
「なんです?」
「シロウ、取られちゃったけど、サクラは暴れないで良いの?」
無邪気に、無意識に地雷原に足を踏み入れるあたり流石と言わざるを得ない。
「……そうですねぇ。先輩への気持ちは今も変わらないです。ただ、以前よりは少し前向きになれたってところですかねぇ」
「ふぅん。じゃあ、私が盗っちゃって……嘘よ、嘘。ね?嘘だから?ね?ね?」
ところで、地雷原って何だろう、俺も酒が回ってきたらしい。
桜とイリヤの会話も良く分からないし。
まぁ、どっちも愉しげにじゃれ合ってるからこっちも問題ないだろう。
――つくづく平和だと思う。
あれからまだ一ヶ月しか経っていないのかと思うととても信じられない。
あまりのギャップのせいか、酒のせいか、少しばかり感傷的になってしまっているらしい。
「この世界は、これからの未来はお前達のモノだ」
託された言葉。
「ですから、私達はここで、お別れです」
残された言葉。
「それで、良いの?」
問う言葉。
「ああ。未練も後悔もない。俺達は何時でも、何処だろうと繋がっている」
応える言葉。
「ええ。それに、もう十分に語り合いましたから」
静かな言葉。
「……さて、終わらせるか。ただ、魔力が足りない。凜、……いや、遠坂。令呪を使ってやってくれ」
決める言葉。
「ありがとう、二人とも。俺は、俺達はこれからも頑張っていくから」
伝える言葉。
「ふ。聞くまでもない。……その理想、背負ったまま泳ぎ切って見せろ」
「シロウ。リン。貴方たちの未来に、幸あらん事を」
最後の言葉。
「……セイバー。全力で、全てを終わらせて」
閃光はあくまでも鮮烈に、物語の終焉を照らし出した。
「……終わったな」
「……ええ」
後に残るは、ただ涼やかな風と、温かな朝焼けのみ。
「ふぅ……」
ああ、駄目だ。
感傷的になりすぎだ。
どうして、あそこまで清々しいのか。
どうして、あんなにも凜として在れるのか。
疑問は未だ尚尽きない。
あんな風に自分もなれるのか。
「なーに、一人黄昏てんのよぅ。お姉ちゃんに付き合え、弟!」
そんな空気もぶち壊すこの姉貴分。
長い付き合いだが、ホントにこういうところには敵わない。
「わーったよ、ほら、カンパーイ!」
「ヘイ!カンパー!」
渡されたグラスを一気に煽る。
瞬間、喉を抜ける灼熱。
「がっ!?」
吐き出さなかっただけ褒めて欲しい。
ハイボール用のウィスキー、よりにもよってストレートじゃねぇか。
「げはっ、ごほっ、がっ!この馬鹿虎!?何飲ませ、ごっ!?」
「ほら飲んだ飲んだああああああ!?」
突っ込まれる虎殺し。
前言撤回。
駄目だ、この姉貴は。
っつーか、アンタ教師じゃないのか、仮にも。
目を瞑るくらいならまだしも、飲ませてどうする飲ませて。
そこからの記憶は曖昧模糊と言うか、何というか。
何がどうなっても、もうどうにでもなれってなもんだ。
「……ん」
「あ、起きた、士郎?」
目を開けるとソコには慎ましやかな膨らみと、愛しい恋人の顔。
「……遠…坂?ったぁ~」
「無理しないの。藤村先生に相当飲まされてたんだから、頭痛くて当然よ」
つまりこの状況は膝枕と言う奴か。
……実に素晴らしい。
「うー、だいぶ記憶無い。どのくらい寝てた?」
「三時間くらいかな。先生は士郎を潰してすぐ酔いつぶれちゃって、桜とイリヤはもう寝てる。それで片付けして、それから一時間くらいだから、そんなもんかな」
「わりぃ、後片付け全部やらせちまったか」
「良いのよ。そのために、抑えてたんだから」
ニコリと微笑む姿は、胡乱な頭でも十分に魅力的だと認識できる。
……ん?ちょっとマテ?
「……一時間何してたんだ?」
「へ……?いや、何って……あぅ」
その反応だけで、概ね理解できた。
つまり、一時間ずっと膝枕のまま、寝顔を見られっぱなしってことか。
うわぁ……こっ恥ずかしい。
「…………」
「…………」
多分、遠坂もそれなりに酔ってたんだろうなぁ、とか思いつつ、続く言葉も出ないまま赤面したまま向かい合う。
まぁ、なんだ。
こういう時に場を動かすのは男の役目だろ、うん。
「あ、っと。遠坂。水くれないか?」
後ろ髪を引かれる思いを我慢しながら、身体を起こし、そう告げた。
アルコールの過剰摂取で身体は渇き切ってる上に、ガンガン痛む頭と止まない気持ち悪さが大量の水分を要求している。
「え、あ、うん。ちょっと待ってて」
その間に、とりあえず、現状の把握に努めてみる。
……うん、無理。
酔ってる事しか分からねぇよ。
いや、逆に、それだけ分かれば上等か。
「はい、水」
「サンキュ」
差し出されたグラスを一気に煽る。
流石に、日本酒だの焼酎だのでは無いあたり、虎とは違う。
「ねぇ、士郎?さっき何考えてた?」
二杯目のグラスとともにそんな質問が飛んできた。
「さっき?あ゛ー、いつ?」
ぐわんぐわんと揺れる頭では、考えも糞も纏まらない。
「藤村先生にウィスキーを飲まされる直前。ちょっとぼーっとしてたでしょ?」
ああ、それなら辛うじて記憶にある。
「ああ、もう一ヶ月だなってさ。……それと、アイツら格好良すぎだろ、ってな」
「やっぱり、ね」
「……なんつーのかなぁ。一片の染みすら無いんだよな。墨の一滴すら落ちてない、白紙の紙みたいに真っ新と言うか、何というか。綺麗なんだ、アイツら。それこそ、そう、変な話だけど、本気で英雄じみて」
訥々と言葉が出てくる。
酔いに任せて思いのまま、考えも纏めず、思うがままに言葉に思いを載せていく。
そう。
綺麗すぎた。
あの別れも、あの終わり方も、何もかもが綺麗すぎる。
「まぁ、士郎にしてみたら、アイツは自分だもんね。そりゃ、気にはなるか。あんな風に成れるのか、ってことでしょ?」
「ああ。アイツとは別人だってのは分かってる。同じ道を征く事はもう有り得ないってことも分かってるけど、あそこまで見せつけられると、やっぱりな」
英雄。
尺度は様々。
在り方も様々。
それでも、少なくともあの衛宮士郎はその域に辿り着き、正しく英雄として生き抜き、英雄としての在り方を見せつけた。
その事実は、自身のこれからにとって、何よりも重い。
「大丈夫よ」
だが、それでもあかいあくまは事も無げに憂いを吹き飛ばす。
「は?」
「アンタには、この私が、遠坂凜がついてるんだから、大丈夫。アイツに負けないぐらい素敵な男に私がしてあげるから安心しなさい」
そんなに立派でもない胸をどんと張る遠坂。
そうだな、自分一人で抱え込む必要は俺にはないんだった。
「はっ。そうだったな。俺には遠坂が側に居たっけ。……でも、してあげるってのは無しだ」
そこは譲れない。
「そう?」
「俺は大好きな遠坂と二人で幸せになるんだ。んで、理想も叶える。そうだ。そのくらい俗っぽい英雄で俺は良いんだよな。うん、そうだ」
「……あう。だから、なんで、アンタは、そう、歯に衣着せぬぅ……」
「ん?どうした?」
急に真っ赤になった遠坂。
これは別に酔いのせいではないだろう。
「あーもう、良いわよ、このトーヘンボク!……ああもう。何だって、こんなめんどくさいの好きになっちゃったんだろ、ホントに」
「叫ばないでくれ……頭に響く……。それと、それは俺に言われたって困る。って言うか、めんどくさいってなんだ、めんどくさいって」
「一緒に歩いていく上で、アンタほどめんどくさい人間が他に居る?」
それを言われるとぐうの音もでねぇ。
「……俺が悪かった。ごめんなさい。少しでも改める様努力はします」
「よろしい」
なんか、もうすでに尻に敷かれそうな気がしてならないが、頑張れ、俺。
「でも、真面目な話。アンタはこれからどうするの?」
ふと、会話の調子が変わった。
これから。
直近で言えば進路。
果てしない遠くを見れば、もちろん「正義の味方」としてどう在るのかと言うこと。
「……そうだな。それはまたの機会でってのは駄目か?」
こんな頭で答えを出せと言う方が無理だろう。
「ダーメ。折角、むっつりの士郎の口が軽くなってる今だから聞いておきたいの」
「むっつりってなぁ……。そうだなぁ……」
――貴様は何を守るべきか、何を守りたいのか、分かっているか?それが分からぬ者に何が救える?何も救えはしない!
――だが、どれ程のものを零れ落として進んだとしても、貴方が守ってきた笑顔が、幸せが損なわれるわけではない。
――知っての通り、俺はこんな無茶な生き方をして来た。お前もまた別の無茶な生き方をするのだろう。だが、忘れるな。お前の隣には彼女が居てくれる。お前の周りには大切な人達が居る。それを決して忘れるなよ。
――これまで歩んできた道のりがどれだけ歪んでいようと、俺は、それが間違って居たなんて思わない。どれだけ歪んでいようと、この手で何かが成せたなら、救えたモノはきっとある。
――そして、これからもそれを続けていく。だから、無意味なんかじゃないし、やり直す必要もない。
脳裏に蘇る幾つもの言葉。
答え自体はとっくに出ている。
だが、現状と解を結びつける方程式はまだ模索中だ。
それでも、さしあたり進むべき道は決めている。
「ロンドンに、遠坂と一緒に行くよ。俺はもっと色んな事を知らなきゃいけない」
あの男の言葉を借りれば、最も大切なモノがあるべき場所に座っているのは、目の前の恋人に他ならない。
そして、これから進んでいくべき道を見定めるためにも、もっと世界を見なければ、知らなければならない。
ならば、その選択肢以外、今の俺には有り得ない。
「そう。……それだけ?」
何を問うているのか。
それだけ。
つまり、理由か、どうするかの二択。
とは言え、酔った頭で後者を考えるのは無理だ。
だから、シンプルに前者を答えるとしよう。
「いや。愛している、ってのは格好つけすぎかな、凜?」
「なぁっ!?」
「だから、叫ぶなっつーに……。ってどうした、遠坂?」
いきなり、ゆでだこ状態になったマイラバー。
なんでさ?
「ねぇ、士郎……。今のもう一回、言って?」
「今のって……どうした、遠坂?」
「その前」
「だから、叫ぶなっつーに?」
「その前」
「愛してる?」
「その後」
「……ってのは格好つけすぎかな?」
「その後よ!」
「……んー?何か言ったか、俺?」
「とぼけるな!ねぇ、なんて、言った?」
「だから、叫ぶなっつーの……」
「マジで怒るわよ?」
「いやだから、俺、なんて言ったんだよ、遠坂?」
「……本気で無自覚で言ったのね、アンタ。……私のときめきを返しなさいよおおおおお!」
「だから叫ぶなっ!……っ!?あぅ、頭が……って、揺さぶるっ!?うっぷ……!?」
「って、ちょ!?士郎待って待って、ちょっと待ってえええええええええええええ」
そうして、一つの物語は終わった。
狂った歯車がもたらした物語。
その終わりは、ただ涼やかに。
狂った歯車達の在り方をそのままに写し出すかの様に。
だが、これからも衛宮士郎と遠坂凜の物語は続いていく。
それはまた、別の物語として、何時か何処かで。
ただ、一つだけ。
その物語は、少なくとも、悲劇ではないだろう。
狂いによりもたらされた歪みは、衛宮士郎の歪みをいくらか矯正していった。
故に、この物語に守護者が生まれる事はない。
そう、衛宮士郎が衛宮士郎である限り。
そして、遠坂凜が衛宮士郎の隣に居る限り。